Interview – VITELLI
1980年代にイタリアで起こった文化革命『Gioventu Cosmica』から影響を受け、文化的な態度と地球に寄り添ったクラフトを近年のミラノコレクションで表現し続けるブランド、〈VITELLI〉。今回、ブランドの創設者であり、クリエイティブ・ディレクターを務めるMauro Simionatoに創設の経緯とイタリアのクラフト、そしてブランドの根幹にあるカルチャーについて話を聞いた。
ー Made in Italyは「メスティエール(=クラフト)」とは何かを実際に教わり、
製品をより良くする方法を覚えて体現することなんだ ー
– まず初めに、〈VITELLI〉がどのようにして始まったか教えてもらってもいいでしょうか。
〈VITELLI〉はニット作家である元パートナーと一緒に、2017年に始めたんだ。
僕はアーティスティック・ディレクターとしてブランドのコンサルティングをしていたんだけど、クラフトの世界に飛び込む必要性を自分の中で感じていたんだ。
だから、自分のクリエイティビティをイメージメイキングからモノへとシフトさせたけど、こんなにも深くニットを好きになるとは想像もしていなかったね。
– 様々なブランドでアーティスティック・ディレクターとして活躍されていたのですね。具体的にはどのようなディレクションを手がけたのでしょうか?
2019年に英国の伝統あるフットウェアブランド、〈Clarks〉のグローバル・クリエイティブ・ディレクターに就任するまで、多くのアートディレクターやクリエイティブ・ディレクターの仕事を経験したね。同じ年に〈VITELLI〉で初めて完全なニットウェアコレクションを発表したんだ。
– あなたは〈VITELLI〉でもデザイナーというよりも、ブランドを統括するディレクターのようなポジションなのでしょうか?
そうだね。服飾デザイナーではなくて、どちらかというとデザイナーやイメージメーカーと一緒に仕事をしているんだ。だからより広義な意味でデザインを捉えているから、クリエイティブ・ディレクターとしてのキャリアはデザイン手法の確立にとても役立ったと思う。
– 確かに、服のデザインというのはパーツでしかなく、ブランドを全体をデザインするためには、あなたのキャリアはとても強みにはなりますね。
そうなんだ。デザインを勉強したことすらもないしね。ただ、継続的にアトリエでは服作りは学んでいるよ。
– 様々な種類の服がある中でニットウェアに焦点を当てたのはなぜでしょう?
ニットウェアはただの糸から始まり素晴らしいものを形作るから、最も創造的なデザインの一つだと考えているんだ。毛糸から始まり好きなところに行くことができる。小さな機械さえあれば家でだってできるから、とても身近なものでもある。あと、忘れてはいけないのが、世界共通でニットは織物に続く最も古い工芸の一つでもあるよね。しかも僕の生まれ育ったイタリアの北東部では、ニットの素晴らしさは何十年も前から引き継がれ、そして今も作り続けられている。
ー 『Gioventu Cosmica』 ー
– ブランド名はどのような経緯で決めたのでしょうか?
イタリアらしい、読みやすく、メロディアスで、皮肉っぽいものを探していたんだ。
それである日、Fellini監督の『Vitelloni』(邦題:『青春群像』)を観ていたときにこれだと思い〈VITELLI〉と名付けたんだ。
– 確かに日本人の僕からしても、名前からはイタリアらしさが伝わります。しかし、感覚的に決められたブランド名とは反対に、ブンランドのコンセプトは1980年代にイタリアで起こった音楽・アート・ファッションを基盤に文化革新や社会的改善を目的とするムーブメント、『Gioventu Cosmica』という特定のシーンが大きく影響しているみたいですね。これは一体どのようなムーブメントだったのでしょうか?
『Gioventu Cosmica』は、『Paninaro』と並ぶイタリア最後のユースシーンだったんだ。
両方とも、政治的混乱と暴力の10年間から、逃避の一形態として生まれたムーブメントなんだけど、その結果はまったく異なるものだった。
「Paninaro」はアメリカンドリーム、ファーストフード、ファストライフ、洗練されたブランドルック、ポップへの完全な傾倒、Boy Meets Girlなどの商業的なものにすべてを捧げていた。一方で「Gioventu Cosmica」は、今ここにないものや、それ以外のもの、未知の世界への絶え間ない逸脱などとまったく異なる種類の夢だった。その当時の若者や、ヒッピーたちは、音楽と芸術を生きるための主要な次元として見ていた。
– この「Gioventu Cosmica」に加え、70年代のイギリスのグラムロックのような雰囲気も服から感じます。
子供の頃からサブカルチャーやそのスタイルに深い好奇心と魅力を感じていたんだ。
16歳のときにモッズの美学と音楽に夢中になり、そうした中でモッズが受けたグラムロックの影響が僕のイマジネーションを吸収したんだと思う。あるいは、1980年から81年にかけての初期「Gioventu Cosmica」のユースに大きな影響を与えたサイケデリック・ロックの時代まで遡るのかもしれない。
ー イタリアの小さな工場、研究所、そして最終的には人々の集合体を意味する ー
– 商業的で加速主義なアプローチよりもより文化的で脱構築的なカルチャーに影響を受けたわけですね。この姿勢はまさに〈VITELLI〉の雰囲気に現れているように感じますし、歴史を振り返ってもエキサイティングなファッションや音楽には、常にこのようなアプローチがあったと思います。こうしたアプローチのきっかけはなんだったのでしょうか?
ニットウェアを始めたとき、開発や販売にはお金がかかりすぎることに気づいたんだ。つまり、完全にファッション化されたニットウェアのコレクションを作るには、あまりにコストがかかりすぎるんだ。そこで僕は当初から、ラフで、開発コストが安く、よりユニークで生地感を第一に考えたオルタナティブ・ニットウェアの実験を行った。形は二の次だった。そして、ニット工場で大量に売れ残った糸を偶然見つけ、その様々なストックに多くのテクニックを適用できると思った。そしてこれが〈VITELLI〉の基盤になったんだ。ニットをほぼテキスタイルとして扱い、サルトリアル・ニットウェアを仕上げる。現在、ブランドのコレクションに占めるきちんとしたフル・ファッションニットの割合は5%ほど。残りはカットソーニットで、純粋なニット愛好家からは低品質で間違ったニットの作り方だと思われているんだ。
でも、君が言ったような脱構築したエキサイティングな音楽シーンはクラシックのように高尚なものだったのかな?
– 僕がそう感じる文化は、決して高尚と言えるようなものではないと思います。それでも、クールで大きな意味を持っていたと思います。
まさにその通り。そうなんだよ。
ー その代わりにクラフトの源流で遊ぶことをしたい ー
– アイテムの系統は異なりますが、服作りという面では、イタリアで暮らしている以上、Massimo Ostiが
〈 C.P. COMPANY〉と 〈 STONE ISLAND〉でやったことからの影響は大きいのではないでしょうか?
そうなんだ。Massimo Ostiの影響は確実に受けている。彼の作品を調べているし、そもそも彼と似たようなサプライヤーと仕事をしている可能性も高いからね。Made in Italyはイタリアの小さな工場、研究所、そして最終的には人々の集合体を意味するんだ。 人々に話しかけ、自分が何を望んでいるのかを説明し、「メスティエール(=クラフト)」とは何かを実際に教わり、製品をより良くする方法を覚えて体現することなんだ。
これは工芸における創造性の方法であり、Osti以前からあったものだし、今でもある。それは食文化も含め、あらゆるものに通じることだね。
– イタリアではあなたが言ったような、人の繋がりによって生まれる生産背景が今でも受け継がれていることは素晴らしいことですよね。
本当に素晴らしいことだと思うよ。ただ残念なことに、大企業や製造業グループが小規模な企業を買収しているため、新興ブランドは最低発注量や製造コストが高くなり、それに対抗できなくなってきているのも事実なんだ。〈VITELLI〉は大きな工場と仕事をすることは絶対にないけど、その代わりにクラフトの源流で遊ぶことをしたいんだ。だから僕は小さな研究所にいる。もちろん困難は多いけど、自分たちはまだ創造性と自由を楽しむ職人たちの幅広いネットワークを頼りにすることができている。
– まだ触れていない〈VITELLI〉の特徴として、再生可能素材を使用している点がありますね。伝統工芸と比較的新しい再生可能素材を率いた技術の併用は難しいようにも思うのですが、実際はどうなのでしょうか?
廃棄物を再利用するために、僕らは主にアナログな機械を使っている。ただ、アナログな機械は搭載やセットに時間がかかり、さらに編んだり織ったりするために手入れが必要で、人間のオペレーターと独特の「対話」を続けなければならない。その点、デジタルな機会は完璧ではるかに効率的だね。しかし、アナログでなければできないこともある。特に、使用する資源(糸など)が限られた量しか入手できない場合とかね。〈VITELLI〉が提供するのは、部分的には工業的で、部分的には職人的なものだ。 それは、産業の残骸の多くを再生させる唯一の方法なんだ。だからデジタルな機械作業ではなく、職人技とアナログ技術が中心となっている。
ー 新たな世代の子供たちが怒り、再び境界線を壊してくれることを願っている ー
– インタビューも終盤になってきました。昔影響を受けたシーンについて語っていただきましたが、今現在で気になっているシーンやトレンドはありますか?
それぞれに趣味趣向はあるにしろ、今はみんな似たようなものを見ていて、ほぼ一緒のものを参考にしていて、同じような流行を追っていると思う。その中で自分の声を見つけていかなければならない。
– インターネットにより、ローカルな文化や人々のオリジナル性は薄れているのかもしれません。イタリアでも同じことが言えますか?
イタリア全体についてはわからない。ただ、ミラノはどんどん上品になり、ワインと食事を楽しみ、ローカルではなくコスモポリタン的なファッションになりつつある。僕は新たな世代の子供たちが怒り、再び境界線を壊してくれることを願っている。僕はもう歳だし、ヤラセや機械に忙殺されているよ…。
– 最後に今後の展望を教えてください。
もっともっとクラフトにのめり込みながら、文化的なアクティベーションをより多くの人々に、そしてさまざまな都市で展開していきたい。 そして、コラボレーションも増やしていきたい。Dover Street Market GInzaでのポップアップは素晴らしかったし、日本でもっとシナジーを発揮するのが待ち遠しいよ。
■ Biography
ファッション業界でアーティスティック・ディレクターとして活動するMauro Simionatoによるイタリアのファッションブランド。1980年代にイタリアで起こった文化革命『Gioventu Cosmica』から影響を受け、文化的な態度と地球に寄り添ったクラフトを近年のミラノコレクションで発表し続ける。イタリアの伝統的なクラフトにこだわりながらも、日本ではDover Street Market GInzaでのポップアップを行うなど、グローバルな活動を展開。
Instagram : @vitelli_official @simionatomauro
Website : vitelli.earth