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Interview – Alfredo Settimio / The Great China Wall, NOTSONORMAL
2000年代初頭にカルト的な人気を誇った伝説のブランド〈The Great China Wall〉、そして現在〈NOTSONORMAL〉を指揮するAlfredo Settimio 。彼が2つのブランドで描いたストーリーや〈SUPREME〉とのコラボレーションでブランドを限定復活させた経緯に迫った独占インタビュー。
ー これだけビジュアルが発達しているのに、クリエイティビティがあまり感じられない。本物を見ることができなくて悲しい ー
– まず初めに、〈The Great China Wall〉について教えてください。どのように始まったのでしょうか?
このブランドを始めたきっかけは、デザイナーや他のブランドとではなく自分だけでできることをしたかったからなんだ。私の仕事は、イタリアの様々なブランドにアイデアを提供し、マーケットに新しいコレクションやシーズンを開発することだった。アイデアを生み出して友人やブランドに見せることが好きだったし、良いアイデアと褒められることもあったけど彼らのコンセプトからは遠いと言われることもあったんだ。そしてロサンゼルスに拠点を移し、イタリアと同じような仕事をしていた。そこでも、私のアイデアは好きだけど理解するのは難しいと言われることがあったんだ。私は家に帰って妻に、「もう歳だから引退する時期かもしれない」と言った。30年前のことだ。すると妻は「正気なの?あなたのアイデアは素晴らしいのだから続けるべきよ」と言ってくれたんだ。妻は僕に、何か面白いことができることを証明する動機を与えてくれたんだ。それで〈The Great China Wall〉が始めようと思ったんだ。
– 〈The Great China Wall〉が始まるよりも前から、さまざまなブランドにアイデアを提供していたんですね。
私は約30年前、20歳の時からイタリアでデザインに携わり、ヨーロッパの主要ブランドにアイデアを提供していた。そして、ブランドと一緒に仕事をして、市場にとって価値のあるアイデアを生み出してきて、それを常に認められてきたんだ。だからこそ30年間、私はデザイン、生産、販売を続けることができた。ファッション業界で成り上がるために人生の全てを費やしてきたし、できることは全てやった。イタリアで重要なブランドとも仕事をしてきた。キャリアの初期は〈Lee〉や〈Wrangler〉といったアメリカのブランドに注目していて、後に仕事をすることにもなったけど、自分にとってアメリカのブランドがインスピレーション源だったんだ。今はどうかわからないけど、当時のヨーロッパの人々はアメリカのアイデアをとても求めていたんだ。そうした中で、当時一緒に仕事をしていたブランドは私が良いアイデアがあることをとても喜んでくれたんだけど、自分がやっていることを理解してくれないことも多くあったんだ。というのも、私はヨーロッパ人よりもアメリカ人になり始め、物事の見方が変わり始めたんだ。だから、〈The Great China Wall〉は、私にとって自身の変化を表現する素晴らしい機会だったんだ。
ー 青、黒、グレー、チャコール。あの時代はグラフィックもプリントもなくて退屈だった ー
– 実際にヨーロッパとアメリカのファッションシーンに身を置いたあなたから見た、当時のファッション業界はどんな感じだったのでしょうか?
あの時代、服はとても退屈だった。青、黒、グレー、チャコール。グラフィックもプリントもなく、エレガントでとてもミニマルな完成度だけが高いものばかりだった。本当に退屈だったね。 すべてが整っていて明確すぎだったんだ。そう思っていた時に、自分が関心を持っていたグラフィックと、まだ誰もやっていなかったクリスタルとスタッズを追加して何かできないかと考えたんだ。
– クリスタルとスタッズがついた服、そしてブランド名もユニークですが、そのスタイルが誕生した時のことを教えてください。
私は常に古着を探し回っていて、ある時LAの古着倉庫でフードジップを数千枚も見ていたんだ。そしたらボロボロでブルーのボディーに、4文字の中国語が書いてあるものを見つけた。それはアメリカンなアイテムだったんだけどアジアっぽさもあるアイテムで、2つのカルチャーが混ざりあっていた様はとても美しく、衝撃を受けたんだ。ボロボロで今にも剥がれ落ちそうで文字の意味も歴史も分からなかったけど、そのグラフィックをとも気に入ったんだ。それで様々なものにグラフィックを足してスタッズをつけて、LAの「Fred Segal」に見せに行ったんだ。そしたら彼らは、あと200個欲しいと言ってきたんだ。20個作るのに一週間も費やしたから、そんな余裕はなかったんだけど、とりあえず手持ちのもの全部ををそれぞれの色に急いで染めたらすぐに売り切れたんだ。彼らはもっと作るようにと言ってきたんだけど、私はちょっと待てと言ったんだ。というのも、その中国語の4文字の意味を知らなかったし、もしかしたら「Fuck Off」みたいな意味が書いてあったら大変だからね。その後、色々な人に聞き回っていたら韓国人の女性が「The Great China Wall」という英語での読み方を教えてくれたんだ。アメリカのスウェットに中国語が書いてあるだけで興奮していたけど、書いてある言葉を知ってからもっとかっこよく感じたよ。ただ商標はすでに中国が持っていたんだよね。中国にはThe Great China Wallというカップ麺などが多くあるらしい(笑)。
– そんな背景があったんですね。今見ても新鮮なあなたの服は当時でも斬新だったと思います。ここまで上手く進み、現在も人気な服になるという想像はできましたか?
正直いうと、とにかくユニークだと思わせるモノを作るという考えしかなかったんだ。だから必然的に、値段はとても高くなったけど人気が出るかどうかは全く気にならなかった。それで買ってくれる人がいなくても、自分にとってはどうでも良かったんだ。そして、どのようにこのアイデアを進めて、成功させたかはわからない。ただ、常にリサーチしていたから自然とそうなったんだと思う。当時はウェブサイトもインターネットもなかったから、アイデアを見つけるために日本も含め可能な限り世界中の国に旅して探し回った。そして、アイデアを得る唯一の方法は、多くの場所に足を運び、それを見つけて、買って、ブランドに持ち込むことだった。ユニークな服を作りたいというコンセプトが〈The Great China Wall〉にあったように、私の作る服には全てコンセプトがあるんだ。イタリア人はコンセプトやストーリーを付け加えることが好きだからね。30年間、常にそうした姿勢でモノづくりをしてきた。
そして、これは多くの人が求めていることだと思うんだ。ブランドが上手く進んだのも、フーディーや5ポケットパンツ、アーミーパンツのような誰もが身に纏っている、ベーシックなアイテムを使ったからだと思う。そこにスタッズやアジアを感じさせるグラフィックなどを足して、コンセプトを加えた。フーディーや5ポケットパンツ、アーミーパンツは整いすぎていて、とてもつまらなかったからね。こうしたスタンスは今も継続している。そして創作意欲に溢れていて、〈NOTSONORMAL〉をやっているし、今もなおファッションビジネスに関わっているんだ。
ー 私の時代はキッズたちにスマホを眺めさせることなんてできなかった ー
– 〈The Great China Wall〉が始まった頃は、日本では「裏原」と呼ばれたストリートシーンが盛んで、日本のファッションシーンが最も面白かった時期の一つともされています。他の国でも90〜00年代が美化されていますが、実際のところあなたはこの時代についてどう感じますか?
全体的にいつも同じことが繰り返されているように思う。私が思うに、変化をもたらすものはいつも服ではなく、人々であり、文化だ。これは昔から今もずっと同じだ。服は表現の一形態であり、話すことなく自分自身を伝える方法でもある。そして今日、当時とは異なるコミュニケーションがあるけど、服の根本的な役割は変わらないし、私は当時の服と今ある服にも同じ価値観を持っている。騒然生まれた時代が違う今の新しい世代の子たちは、違った解釈で服を着るし、彼らがそれぞれの価値を服から見出していると思う。だけど、それはいつの時代だって一緒だ。 正しい人が作り、正しい人がそれを着れば誰もが着る。そしてファッションは常に動き進歩していて、それを止めることはできないし、捕まえることもできない。だから私も前進し続けるんだ。個人的には、当時の服が好きか、あるいは 昨日が今日より良かったとか、悪かったとかではない。根本的に服はいつの時代も同じだからね。私は何十年もフーディを売り続けているけど常に同じスタイルだった。〈The Great China Wall〉でも〈NOTSONORMAL〉でも。最初の日から最後の日まで。常にベーシックな服をキャンバスとして使い、アートのように色を変えながらそのキャンバスで表現を続けてきた。もちろん業界で昔と変わっていることもあるよ。今の若手の多くがバンドやアーティストとすぐに関わって、服を売っているよね。私の時代にそんなことはなかったし、キッズたちにスマホを眺めさせることなんてできなかったんだ。今はコミュニケーションがどんどん便利になってきているし、強くなっている。ただ、モチベーションそのものや根本的なものは変わってないはずだ。
– 確かに世界大戦以降、根本的な服の存在意義は変わっていないように思います。では次に、可能な範囲で〈The Great China Wall〉を終わらせた理由を教えてください。
ブランドは私がたった一人で進めていた。それでも多くの人たちが私をいろんなプロジェクトに加えてくれたんだ。そして、人と一緒に仕事をするときは、できるだけ長くその人たちとずっと一緒にいたいと思っている。ただ、社会ではネガティブな時代がたまにやってくる。最近だと2018年に市場が暴落した。君はまだとても若かったから実感はなかったかもだけど、とても悪い状況だったんだ。非常に不健全な環境で働いていたと思うし、請求書を支払うことも精一杯だったし、業界の多くが倒産した。こういったことが定期的に起こるものなんだ。〈The Great China Wall〉のときも似たような感じだった。2000年から2010年の間活動したけど、10周年を記念した作品を最後に私は別れを告げた。
ー 〈SUPREME〉と〈AMIRI〉とのコラボレーション ー
– それから10年以上の時を経て、〈AMIRI〉や〈SUPREME〉とコラボレーションしましたね。一度辞めると決心したブランドを再開させた経緯を教えてください。(*コラボレーションのみで一時的に復活。)
2010年に〈The Great China Wall〉を終わらせてからも私はファッションから逃げなかった。
〈Harley Davidson〉では10年以上、Kanye Westの〈YEEZY〉とは5年間も仕事をし続けた。そして今日、〈SUPREME〉や 〈Stussy〉と働いている。またLAの才能のある子たちがやっている〈HELLSTAR〉という新しいブランドとも仕事をしていたり、多くのブランドや人と一緒に仕事をしているんだ。そして〈NOTSONORMAL〉もやっているしね。だから〈The Great China Wall〉が終わっても、自分自身をさらに改革して、キャリア初期にイタリアでやっていたようなことを今もアメリカで続けているんだ。とても幸運なことに、アメリカで一番のストリート・ブランドに認めてもらえているのは光栄だし、彼らは私がそれぞれのブランドがやりたいことを理解していると信頼してくれて、私のアイデアを求めている。光栄なことだし、毎日その要求に応えているんだ。
〈AMIRI〉とのコラボレーションについては、デザイナーのAmiriが18歳の時になぜか父親と一緒にロサンゼルスの私の工房を訪ねたことがあったんだ。私のビジネスを彼の父が息子に見せたかったのか、なぜだったのかは正直覚えていないけど20年後には彼は〈AMIRI〉を立ち上げていて、仕事の話をしにまた来たんだ。今のファッション業界で〈AMIRI〉があのようなポジションにいながらも、自分の影響が彼の中にあると思うと大変嬉しい限りだし、コラボレーションできて本当に良かった。
– そんな昔に出会っていたとは驚きました。〈SUPREME〉とのコラボレーションはどのように進んだのでしょうか?
〈SUPREME〉から電話が来たんだ。私は内向的で、自分からそういう話を持ちかけたりはしない。できるだけ、ビジネスというよりは個人的な関係で物事を進めたいんだ。このインタビューのようにね。だから〈SUPREME〉がコラボレーションを持ちかけてきたとき、最初は断った。〈The Great China Wall〉はすでに終わっていたし、過去に戻ることはしたくなかった。でも、〈SUPREME〉のチームは3日連続で私のオフィスに説得しにきたんだ。彼らのやり方はユニークで面白かったし、彼らのことが好きだから〈SUPREME〉に悪いイメージがあるから断ったということではなかったんだ。だから、彼らがもっと歴史のあるブランドとコラボレーションできるように願っていると言うと、彼らは「あなたがやっている〈NOTSONORMAL〉も大好きだけど、もっと歴史のあるブランドがすぐ近くにあるだろ?」と言ってきたんだ(笑)。つまり彼らにとって歴史のあるブランドは〈The Great China Wall〉だとね。とてもいい説明で笑わせられたよ。それで私が必要とすることを〈SUPREME〉が受け入れてくれて契約を結んだんだ。
– 〈SUPREME〉のコラボレーションアイテムがワクワクする理由が分かった気がします。彼らは毎年のように日本の古着屋を回ってインスピレーションを探したり、あなた以外にも彼らが一緒に仕事をするクリエイターから話を聞くと、彼ら自身が一番に面白いものを求めていることが伝わります。
次に、すでに何度か話に出てきている〈NOTSONORMAL〉について教えてください。アップサイクルで服を作っているという共通項がありながらも、〈The Great China Wall〉より洗練されている印象があります。
〈NOTSONORMAL〉も〈The Great China Wall〉も本質的には同じなんだ。見た目は違う製品だとしても、ワークパンツやフードジップを軸に新しいデザインに作りかえる。つまり私が〈The Great China Wall〉で行ったことの進化に過ぎない。〈The Great China Wall〉で人気を博したクリスタルを追加したり、同じことをやり直したりする必要性は感じていないけどね。そして、どちらのブランドもお金のために作られたわけではない。言いたいことを表現して何かを伝える必要があったんだ。結局、何が伝わったかは正確にはわからない。でも、どこの誰かはわからないけど、間違いなく誰かがメッセージを受け取ってくれた。
ー 自分自身を見てほしい。あなたの友人、あなたが好きな人々に何かを与えるんだ。そうすれば物事はもっと良くなるかもしれない ー
– では〈NOTSONORMAL〉ではどのようなストーリーを付け加えたいのでしょうか。2つのブランドは根本的には同じだとおっしゃいましたが、すでに整いすぎたファッションシーンに対するカウンターはあなた自身が〈The Great China Wall〉で行いましたよね。
〈NOTSONORMAL〉は〈The Great China Wall〉を始めた時とは全く異なる状況だった。というのも、2〜3年前に〈NOTSONORMAL〉を立ち上げた時は他にも様々なブランドのコンサルティングをしていて、高い要求に応えていた。そして全てのブランドはアイデンティティがとても明確で、それぞれが他のブランドとは異なっている。だから、 彼らのためにコンサルティングを行いアイデアを提供するとき、私はいつもシンプルな姿勢でいる。まずは、顧客を理解してブランドを理解する。 ただ、仮に同じアイデアを他のクライアントに提供しても、彼らが求めているもの、彼らが持つDNAはみんな違うから評価されない。そのため、常に7、8、10のブランドに違ったアイデアを提供しながら仕事をすることになる。そうしたことを続けると、クリエイティビティを発揮するときに自分らしさを失いつつあるように感じ始めたんだ。そして売るためではなく、制限なく好きなことをするために製品を作りたいという衝動に駆られる。だから〈NOTSONORMAL〉は私がブランドに提供することができなかった、すべてやり尽くしたものの結果であり、〈The Great China Wall〉の時のような新しいコンセプトではないんだ。
- なるほど。ファッションブランドのコンサルタントのような立場だと、常にそのような難しさはありそうですね。また、ファッションの難しいところは、実際に作ったものを着たいと思わせないといけない事だと思います。つまりある程度の共感を持たせて、ある種のコミュニケーションのような関係を顧客と作らなければいけません。
そうだね。ある一定のラインを超えると、人は魅力を感じなくなり理解できなくなるから、適切なものを適切な量とタイミングで提供しないといけない。これらを間違えていたらコンサルタントとしてのキャリアは短くなるだろう。だから制限する必要がない〈NOTSONORMAL〉を始めた。自分の好きなように製品を作れる表現の場所であり、ヴィンテージを自分で一つずつ選び、買い付けることができるからね。ただブランドを始めた理由はそれだけではないんだ。
〈NOTSONORMAL〉では初年度は100万ドルの出荷が目標で、最終的にはそれを超えることができた。なんでかというと、かなり早いタイミングでサプライヤーから声をかけられていたからなんだ。正直いうとパートナーになることは好きではないが、これをやることはロサンゼルスにとっても意味のあることだと感じたんだ。 私はこれ以上売れなくてもいいし、私には私のビジネスがあるし彼らには彼らのビジネスがある。ただ、ロサンゼルスのファッション業界やサプライヤーは “楽しみ” というものを知らないんだ。彼らは業界人で、金儲けばかりを考える。それは私の目標ではないし、私は遊びを楽しみ、それを誇りに思えるようなことをしてストレスを解消したいんだ。でも彼らは、私が100万ドルの会社を作りたいのに、2億ドルの会社を作りたがる。だから私はそういう人や業界に対して、何が本当の楽しさか示すためにもこのブランドを動かしているんだ。
– ビジネスとして成り立たないとダメ、しかしビジネスが一番になってはならない。ユニークなものが大事でも、やりすぎると人は見なくなる。この辺のバランスは長年さまざまなブランドと関わり、当事者としてシーンに身を置いたあなたならではのものですね。実際に〈NOTSONORMAL〉は現在日本のお店に置かれていて人気ですし、〈The Great China Wall〉は二次流通で今も熱狂的な人気を誇ります。若い世代にもバランス感覚に優れた人が増えればもっと面白くなりそうですね。
そうだね。自分の人生の全てを費やしてきた産業が衰退していくのを見ることは悲しいよ。これだけコミュニケーションが盛んで、これだけビジュアルが発達しているのに、クリエイティビティがあまり感じられない。まだ本物を見ることができなくて、とても悲しくなる。これだけのツールがあるのだからグラフィックから何から、あらゆるレベルにおいて私たちはもっと良いポジションにいていいはずだ。でも、まだ何も見えてこない。実際、いまだに私のところに一緒に働いて欲しいというオファーが来ることもそれを表していると思う。
少し厳しいことを言ったけど、私には君と年の近い18才と20才の息子がいて、君たちの世代が自分たちなりに服やコミュニケーションにおいて葛藤していることもよく知っているよ。それを知った上でもそう思っているんだ。私個人で言うと遠くを見ずに今を見ていたい。あまり遠くを見てしまうと、私の年齢だと死が近いからね。そして若い子たちには目を覚ましてもらって、情熱を持って今あるものを見てほしい。状況を変えるにはとてもハードで情熱が必要だからね。新しいツールを使った冒険はより良いもになると思っているが、まだそうなっていない。あなたはどう思う?もしかしたらまだ分からないかも知れない。分からない、見えていないというのは美しいことであると同時に、呪いでもあるんだ。まだ知見が無くて、経験も浅いのかもしれない。だけど君の武器は若さだ。私たちを見ないで自分自身を見てほしい。あなたの友人、あなたが好きな人々に何かを与えるんだ。そうすれば物事はもっと良くなると思う。
■ Biography
Alfredo Settimio
2000年代初頭にカルト的な人気を誇った伝説のブランド〈The Great China Wall〉、そして現在〈NOTSONORMAL〉のデザイナー。2022年には〈SUPREME〉や〈AMIRI〉とのコラボレーションで〈The Great China Wall〉を限定復活させたほか、〈YEEZY〉や〈Stussy〉、〈Harley Davidson〉と共に仕事をするなど、自身のアイデアを多方面に提供・表現をする。
Instagram : @thegreatchinawall.la @notsonormal_la