Interview / Lamrof

Lamrofは坂本大輔が2021年にスタートさせたファッションブランド。アフリカ系アメリカンの文化への敬意を今着るべき服へとシーズンごとに落とし込んだデザイン、そしてファション業界で多様な経験を積んだ坂本ならではのバランス感覚でカジュアルとラグジュアリーの両面でカルチャーを表現。デザイナー自らアメリカに足を運び多様なアイテムの買い付けを行うほか、Creative Design会社EARTHY BLUE INC.を運営するなど幅広い活動を行う。

ー 人それぞれの考え方や生き方、信念を服で表現することは「正装」だと思う ー

– 初めに、どのようにしてブランドが始まったかを教えてください。

独立する前は2つのセレクトショップにいまし た。洋服が好きでいろんなブランドやヴィンテージを着て、服に一番お金をかけてきましたね。昔から日本人の「これを着ていれば間違いない」や「これが流行っているよね」みたいな保守的な感覚はなく、人と一緒なことが嫌で似たり寄ったりなブランドを見ていく中で、自己表現をするツールという意味では面白くないなと常に思っていました。知れば知るほど欲しい洋服がなくなっていって、「だったら自分で作ろう」という感じで独立しました。だから Lamrofは本当に洋服が好きな人に面白いと思ってもらえるような服作りをしています。

– 服に興味を持つきっかけは何だったのでしょうか?

大学までは地元の仙台にいて、高校まではプロを目指して聖和学園でサッカーをしていました。 柴崎岳選手がいる青森山田に勝ったりしていたくらいです。だからルーツを辿るとサッカーは少し関係してきます。
野球だと制服があって、その意味でサッカーよりもルールに縛られているじゃないですか。サッカーはより自由だし、例えば奥大介選手みたいにソッ クスを下げて履くとか、ユニフォームをインするのかしないのか、もしくはユニフォームのサイズ感など自由がありますよね。そういうところが好きだったし、その頃から自分は一人だけロン毛でヘアバンドをつけていました(笑)。そういったような、自分の個性を出したり、相手の意表をつくようなプレースタイルが好きで聖和に行ったんです。

– なるほど。確かに個人のテクニックを重視する聖和学園のサッカーは坂本さんにぴったりですね。

でも監督のことを呼び捨てにして、最後の大会でメンバーに入れてもらえませんでした(笑)。高校を卒業するときにプロに行く仲間などを見て、自分は第一線でやっていくことは無理だなと思いやめました。その後、仙台の大学に進み、古着屋でバイトを始めたんです。そこでUNDERCOVERばかりを着ているカッコいい先輩と出会い、田舎から新幹線に乗って東京の伊勢丹 でそこにしかないUNDERCOVERのコートを買いに行くような学生生活でした。仙台は東京に比べ保守的な街だったということもあり、自分を表現するというツールが僕には洋服だったのでアパレルに就職したんです。

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ー ビジネスとしての葛藤 ー

– アパレル会社で働いた後、どのような経緯で独立し服作りを学んだのですか?

上京し働き出して 2 ~ 3 年すると、かなりの人数がいる会社の中でも目立つ存在になれたんです。これ は自分でも自信を持って言えることで、間違いなく自分が一番目立っていました。それは自分が誰よりも洋服が好きな気持ちが強かったし、それをちゃんと表現できていたからだと思います。


それで本社の人からも注目していただいて、最初は雑誌に関わったりするなど、表に出るプレスを担当しました。プレスをやっていると「こういう服を着て雑誌に出てくだい」みたいなことを言われるんですけど、ダサいからやりたくなかったんです。そういうこともあってバイヤーに興味を持ち、当時のバイヤーに自分から「もっとこういうブ ランドの方が売れる」や「こういう世界観の服を置くべきです」などと提案してバイイングに連れて行ってもらったんです。
そしたら面白がってくれて、国内のバイイングを店舗スタッフの時代から同行するようになったんです。そうしていると企画担当の上司からも面白がってもらえて、会社がカジュアルでトレンド性のあるイケてる服を作りたくて、若い人のアイデアを求めていたときにお話が来たんです。この企画の若い人は全国から9人ぐらい選ばれるんですけど、12品番くらいやったうちの9品番が僕の企画でした。それで1シーズン、僕企画の商品が9品番並んだという。この企画の時に、生地選びからパターン作り、モデルを選ぶオーディション、ルックの撮影までの服が生まれる工程の全てに関わらせてもらい、そこで一通りの流れを覚えました。

– なるほど。洋服に関すること全般を経験していたんですね。

はい。でも、働いていたセレクトショップの雰囲気に合うようにもっと抑え気味で服を作らないといけないことが多かったり、会社としてビジネスを考えなければいけなかったということもあり、常に葛藤がありました。そんな時に別のセレクトショップから引き抜かれたんです。この二つ目の会社に行く時にはすでに自分のブランドを作りたいという想いが強かったですね。ただ、また違った環境で短い期間働くことも自分にプラスになると判断してそっちに行くことを決めました。この一つ目の会社をやめた段階で、有給を一気に使ってニューヨークへ行ったことは刺激を受けたし、東京よりもすごい場所があると気づけました。

– 具体的に何に刺激を受けましたか?

アートですね。ニューヨークはアートで溢れていてそれがとても面白かったです。あとはMalcolm Xとかキング牧師など60 ~ 70年代の公民権運動やの黒人の音楽や文化が好きなこともあって、治安が悪いけどハーレムにも行ってMalcolm Xのお墓に花をあげたりしました。

22AW

ー Smoking Jacket ー

– Lamrof でも黒人カルチャーや音楽を洋服に落とし込んでいますが、このブランド名もジャズミュージシャンのなかで流行った“逆さ綴り”が由来ですね。この逆さ綴りのブランド名とコンセプトでもある「正装を思想的に対極に着る」はどのような関係があるのでしょうか ?

80年代に逆さ綴りにする曲名が流行っていて、ブランド名は“Formal”の単語を逆さ綴りにしたものです。「正装を思想的に対極に着る」に関して、「正装」というのはドレス、つまりスーツなどを表しています。ドレスも好きですが、指定されている決まったスタイルでスーツを着ることだけが「正装」とされることに中指を立てるようなタイプだし、例えば今僕がレザーパンツを履いてジャケットを着ていたりと、一般的には変わっていると思われるような服装も僕にとっては正装だし、人それぞれの考え方や生き方、信念を服で表現することはその人にとっての正装だと思う。だから「思想的に正装」という言葉を使っています。ただ、そういった人それぞれの正装、つまり自由な服は一般的にフォーマルの真逆として捉えられていますよね。そういったことなどから「正装を思想的に対極に着る」という意味が込められていて、Formalの文字を逆さ綴りにした意味にも込められています。

– この考えはアイテムにもはっきりと現れていますよね。例えばブランドのアイコン的アイテムの Smoking Jacket は一見するとラグジュアリーでフォーマルなアイテムですが、実際に着ているとカジュアルで自由に着れますよね。他のアイテムを見ても、このラグジュアリーとリアルクローズの間にあるような絶妙なバランスが好きです。このようにブランドの「正装を思想的に対極に着る」というコンセプトを実際に表現にするために意識したことはなんでしょうか?

ありがとうございます。その辺りのバランスが今まで洋服に触れてきた中で、本気で向き合っていたことです。Smoking Jacket に関しては素材とサイズ感によってそれを表現しました。袖と襟の素材にあえてシャネルツイードを使い上品に、それ以外の素材にウールチノを使いギャップを出しました。それと Smoking Jacket はイギリスの文化として生まれ、その後アメリカでタキシードに変わっていったんです。でも、タキシードの原型であるSmoking Jacketをそのまま再現するとフォーマルになりすぎる。だから少しボックスっぽいシルエットにしたところが大きな点ですね。絞りを入れないで綺麗にストンと落ちて、リラックス感あるシルエットで、ウールチノ特有の硬くなりすぎない、柔らかい揺れ感で動きを出すためにもボックスにしました。ただ、23SSではタキシードに近い形のSmoking Jacket を出ます。

– 23SS の Smoking Jacket をタキシードに寄せたのはなぜでしょう?

22AWはファンクとかソウルの舞台衣装、それこそPrinceやRick James、Parliament、Funkadelic を意識しましたが、今回は『ROCKERS』の写真集を見るとわかりやすいですけど、リアルな路上アーティストがさらっとジャケットを羽織ってギター弾いて、フレアパンツを履いてタム帽をかぶっている感 じを意識しました。その雰囲気を1つのコレクションとして表現するにはSmoking Jacketは少し違うなと感じて。それでもこのアイテムは残したいという考えだったので、ディティールを変えてタキシードに近づけました。さらにその素材をデニムに変えて、より自分なりのアップデートを施しました。

– 23SSのインスピレーションはこの『ROCKERS』から来ていたんですね。

そうです。70年代のジャマイカの映画なんですけど、ジャマイカというとレゲエが思い浮かぶじゃないですか。それを世の中に広めるために大きく貢献した映画で、ジャマイカ人監督がジャマイカのミュージシャンを使ってその当時のリアルクローズで撮った映画があるんです。映画自体はB級っぽいんですけど、ストーリー性のある展開からいきなり人種的な訴えやブラックパワーをカメラに向かって訴えかけるシーンがあるなど面白いです。写真集もカッコよくて、特に自分が好きな 60,70年代のジャマイカ人特有の色合わせやカルチャーが滲み出ていてサイズ感も最高。だからいつかその世界観を、コレクションに落とし込みたいとずっと思っていたんです。

– やはりブランドとしてブラックカルチャー、音楽で言うとレゲエ、ソウル、ファンク、ジャズからの影響が大きいんですね。

常にブランドの根幹はブラックカルチャーですし、音楽が好きなのはもちろん、その人たちの衣装などはかなり見ます。あとはジャケットの裏表紙やライナーとか。『ソウルトレイン』を見るにしても、ダンサーにしても出ている人みんながカッコ良い。ああいうのを見ると黒人が着る服が一番似合うなと感じさせられます。白人のベトナム戦争に対するカウンターカルチャーでもあるヒッピーの文化や歴史も好きですけど、スタイリングや洋服を着ている様は黒人にしか出せないものがある。だから、Lamrofのルックにアフリカ系のモデルを起用しています。

– 始まったばかりのブランドとはいえ、かなり明確で歴史を深掘りしたコンセプトを落とし込んでいますね。

まだブランドの2シーズン目にしては早かったかもしれないけど、売れるものを作りたいって感覚は一切ないので、このタイミングで形にしました。ただ、これはあくまでも裏テーマ的なものです。というのも、例えば当時のアイテムである網シャツでスタイリングを組んでくださいとか言われても難しいじゃないですか。カッコいいから僕も実際に持っているけど、そんなに着ないし。だから、当時の服を僕なりにアップデートするということがいちばん大事。そのアップデートの要素で網シャツをカーディガンとクルーネックにし、さらにそれをタイダイ染めして、独特な風合いに落とし込みました。当時の匂いは残すけど、かなり自分なりにアップデートしたものがメインアイテムになっています。

どのカルチャーを反映するにしてもファッション好きであれば、それをどうファッションに落とし込むかというのは大事な視点ですよね。

後輩にもよく話しますが、カルチャーとファッションを100のパーセンテージで表すとして、ある古着屋の店長がカルチャーを 100%に極めていたとしても、それはすごいことではあるけど、オシャレとしてカッコいいかは別の話になると思います。逆にカルチャーが全く無くて、単純にファッションが好きでオシャレな人もいますよね。あくまでもそのバランスは人それぞれではありますけど、僕個人の考えとしては6割がカルチャーで4割がファッションだと思っています。例えばセレクトショップのドレス部門で、その文化のルールに従って正統にスーツを着ている人はカルチャー寄りじゃないですか。またカジュアル部門の人も、もちろん知識はあるんだろうけど、足し算的な着こなしでファッションだけで完結している人もいる。それはそれで正解だとは思うけど、僕は6:4あるいは5:5の割合でカルチャーとファッションのどちらも表現できる人がオシャレでかっこいいと思う。例えばパンクのカルチャーが好きでも、サイズ感をしっかりと考えつつ、ファッションを成り立たせたながらカルチャーを表現している人とか。だから自分に合うサイズ感を知っている人はカルチャーを落とし込むのが上手いですよね。あとは、その人特有のキャラクターや雰囲気を理解していて服に着られるのではなく、着こなしている人はとても魅力的にうつります。

– このバランス感覚ってとても大事ですよね。それこそ最近はSNSの影響もあってか、カルチャーや背景よりもデザイン性の強い服や流行りものの価値が昔以上に高まっている気がしま す。

確かにそうですよね。もちろん若い人でもそれを大事にしている人が存在することは知っていますが、僕や僕らの世代より一回り上の人は、もっと服の背景やカルチャーを大事にしていたようにも思います。僕くらいの年齢はギリギリそういった人たちから叩き込まれてきたと思う。だから自分は昔から背景がないと服を買えないし、なんとなくオシャレで使えそうだからというような理由でアイテムを買うことは絶対にしないです。

ー 暮らしへのこだわり、EARTHY BLUE INC. ー

– では次にLamrofとは別で活動している、撮影スタジオや機材の貸し出し、空間デザインを行う Creative Design会社EARTHY BLUE INC. についてお聞きします。この会社はどういった経緯で始めたのでしょうか?

最初はスタジオではなく、単純にカッコいい秘密基地や事務所が欲しかったんです。相方が施工管理士をしていて、僕はファッションの人間だけど空間やインテリアなども好きで。それで二人で一つの母体で何かできるかといったら、暮らしにこだわっていくということが好きでそれを会社でも表現しようとなりました。

先ほど話したニューヨークの旅行で、倉庫を改造して暮らしている人たちに会って、彼らから刺激を受けたことも大きいです。コンクリートの打ちっぱなしみたいな、キレイで作り込まれた今風なものも別に良いとは思うけど、正直お腹いっぱいだなという感じがして自分たちがやる必要はないなと思いました。だったら汚い良さを残そうと思った。 だから元々は今のようなスタジオや機材の貸し出しは考えていませんでした。でも、この場所を見つけた瞬間、これは上手くいくと感じて軌道に乗った感じです。根拠のない自信で行けると思って始めました。

– なるほど。この会社でずっとやりたかった「世界中を旅して素敵な価値を新たに日本で提案する」事業の第一弾としてアメリカで買付をされていましたが、具体的にどんなアイテムがありますか?

カルフォルニアに一ヶ月滞在したんですけど、どれも素敵なものばかりでした。例えばFirekingのマグカップって価値がありますよね。それでFirekingのマグカップを買って「日本のある店では4000円で売られているから、他だったらこの値段で売れる」みたく、ある程度普及しているものを安く仕入れて利益出すようなことは面白くないなと思った。だから、そういうアイテムは全部スルーして、より新しい価値観を提供できるようなものを探しました。中でもブラックライトのポスターはかなり良いものが手に入ったと思います。70年代のものが中心でフェルトがついているものもあったりするんです。

– Lamrof 同様とても楽しみなプロジェクトですね。では最後にブランドが目指す理想像を教えてください。

まず有名になりたいとか金持ちになりたいという気持ちは一切ないです。洋服が好きな人たちが、本当に良いブランド、面白いブランドを思 い浮かべるときに当たり前のようにLamrofの名前が出てくると嬉しいです。ただそこまで強くそのことは考えていなくて、とにかく自分がカッコよくて良いと思える服を長く作り続けたいという思いが一番です。